1977-11-16 第82回国会 参議院 科学技術振興対策特別委員会 第5号
○参考人(島居辰次郎君) もう大きいこと、それから細かいこと、大体宇野長官からお話しになったとおりでございますが、事業団といたしましても、修正されますと、まあ御存じのドイツのGKSSのようになるのじゃないかと思いますが、しかし、それまで――われわれといたしましてはいままでやってきました遮蔽に関しましては改修の基本設計を終えまして、そして国の安全審査を受けて改修工事をこれからやっていきたいと思いますし
○参考人(島居辰次郎君) もう大きいこと、それから細かいこと、大体宇野長官からお話しになったとおりでございますが、事業団といたしましても、修正されますと、まあ御存じのドイツのGKSSのようになるのじゃないかと思いますが、しかし、それまで――われわれといたしましてはいままでやってきました遮蔽に関しましては改修の基本設計を終えまして、そして国の安全審査を受けて改修工事をこれからやっていきたいと思いますし
○参考人(島居辰次郎君) 私の方といたしましても、その後を引き受けまして、遮蔽改修につきましては、いわゆるモックアップ試験、炉の実物大のものをつくりまして、そして陸上でもって試験をしてやっておるようなわけであります。 余談になりますが、御存じのように、初めて開発していく場合においては、まあ事故というよりも、いろいろな蹉跌が起こるわけでございますので、実はきのう、ちょうどいまソ連から来ておられます原子力利用国家委員会
○参考人(島居辰次郎君) 私は就任いたしまして後にあれがすぐ出ましたものですから、それを篤と拝見しまして、物事の一つの事件というものは、ただ末梢的なそこだけではなくて、それが起こるにはいろいろな方面からいろんなことが作用して起こったんだなと、これはもう当然でございますが、そういうことが非常によく調査してございまして、後から引き受けましたわれわれといたしましては非常に参考になりまして、たださっき申しました
○参考人(島居辰次郎君) 御指摘の話でございますが、あの一つの事件がございまして、われわれの幹部、つまり役員は全員交代をさせられました。私もその後に引き受けてまいったわけであります。そうしてまずちょうどそのころ「むつ」放射線漏れ調査の報告書がございました。いわゆる大山報告書でございますが、それをよく検討いたしますと、なるほどその中に盛ってあります一字一句まことにわれわれの胸を打つものがございますので
○島居参考人 御存じのように、放射線漏れが起きまして事業団の役員は一新するということになりまして、理事はいま五人おりますが、私一人が事務屋で、あとは全部技術屋でございます。 それで、私から申し上げますと、私は運輸省の海運畑、海上保安庁に勤務しておりまして、その後約十年会社を経営しておりまして、それからこういう問題が起こりまして、平たい言葉で言うと引っ張り出されて、それで一昨年の四月一日から理事長を
○島居参考人 大体の政策のようなことはいま大臣からお話がございました。 それで、御存じのように、放射線漏れ以後大山委員会の報告書も出ました。私どもはその後、その翌年理事長以下全部役員は一新されました。新しい陣容でもってわれわれは取り組んでおるわけでございます。それで責任体制も明確にすることにいたしました。また技術の問題もいろいろ問題にされましたので、技術の蓄積を図るような措置もやりました。また団内
○島居参考人 御存じのようにかぎは県知事の方へお預けしておりますし、そのとき四者協定において締結されましたいろいろな義務はすべてそういうふうに果たしておると思います。
○島居参考人 私はおととしの四月から引き受けたのでございまして、いまのお話はまだ承っておりませんので、調べてまた後から回答させていただきたいと思います。
○島居参考人 大体百五十億であります。
○島居参考人 あれは、契約の中に補償条項がございまして、補償することにはなっておりましたが、なかなか完成いたしませんので、補償条項も 一時延ばしたこともございますが、その期限も切れましたので、いまとなりましては、補償条項の期限も切れたような次第でございます。
○島居参考人 契約はもちろんまだやっておりませんし、今後の契約の内容については篤と検討いたさなければならぬかと思っております。 そこで、契約にも御存じのようにいろいろ民間に型がございますので、たとえば着手したときに少し出すとかいろいろございますので、その点今後ネゴシエーションになりますが、今後の問題に残しておきたいと思っております。
○参考人(島居辰次郎君) 船のむつからの移転につきましては、実は私が来る前の話でございまして、当時の新聞あるいはその他の状況によって考えてみますと、まあいろいろ政治問題にもなりましたので、これはやっぱりいろいろ周囲の状況からやむを得なかったんじゃないかと思っておる次第でございます。また、あそこには大きな造船所もございませんので、いろいろな意味において、もっといいところがあればそれはもっといいところがあってしかるべきじゃなかろうかというふうに
○島居参考人 さようでございます。
○島居参考人 大山委員会の報告もございましたように、またああいう技術の開発の段階においては往々あることだとは書いでございますけれども、ああいうことが起こりませんように、さっきのお話しのように慎重の上にも慎重にやりまして、事業団としてはできるだけメンバーをそろえてやっているつもりでございますが、科学技術庁、運輸省とも連絡しておりますし、また科学技術庁は今度は政府の立場において御検討されるのももっともかと
○参考人(島居辰次郎君) 首脳部の人事はもう先般発令いたしまして全部かわりました。それから船長につきましてはつい最近交代いたしましたような次第でございます。いま名前を……資料で結構でございますか、それじゃ後から資料で御提出いたします。
○参考人(島居辰次郎君) 私はまことに重大なる段階のときにやってくれということになりまして、非常に任務の重さを痛感して、また恐縮しておるわけでございます。 そこで、原学力船事業団は、大山委員会の報告にございますように、ほかの先生方からもお話しもございましたように、原子力事業団は非常にひどく取り上げられておるではないか、ほかのところももう少しやったらいいじゃないかというふうな発言もあったように聞いておりますが
○参考人(島居辰次郎君) 私は途中から受け持ったものでございますから、ずっと長い間のは書類その他で拝見するよりしようがないんでございますが、しかし、いろいろ今回の大山委員会の報告を承りますと、いま先生のおっしゃったようなこともあったのではなかろうかと思うんであります。しかし、やっておられた方々はできるだけパンフレットや何かつくってやっておったようでございますが、そこが自分が一生懸命やっておったと思っても
○島居参考人 これは船体と炉の方と契約が二つに分かれておりますが、両方とも二十二条に「保証工事」という名目で四項までございますが、一カ条のうちに書かれております。お手元にあると思います。
○島居参考人 昨日帰りまして夜おそくまで検討したわけでございます。まだしかし続けて検討いたしますが、きょうは、いま御質問ございましたので中間的な報告をいたしますと、いまのように私としては考えられるという考えだけを申し上げたわけでございまして、今後引き続いてまた検討いたしたいと思います。
○島居参考人 事業団といたしまして、この前の大山報告書にありますとおり、今回のストリーミングの現象は、必ずしもこれに該当するものとは、まことに言いにくいのではなかろうかと考えるのでございます。
○参考人(島居辰次郎君) 大変ありがたいお話を承っております。私は「むつ」関係につきましては、いままではいわゆる新聞その他で拝見しているだけでございましたが、こういうところに出席させていただきまして、先生方の「むつ」にあるいは原子力船の今後の問題に対する生のお声を拝聴することができましたことは、私が今後新しくこれをやっていく上において非常にためになることだと感銘深くしておるわけであります。 そこで
○参考人(島居辰次郎君) 私は、先般、大変な理事長を拝命いたしまして大変なことだと思っておるのでありまするが、拝命した以上は私にできるだけのことをやりたいと思っているわけでございます。 そこで、先ほど大山委員会の報告の話もございましたが、私のようないままで全然関係しなかった者から見ますと、いわゆる白紙なんでございまして、ちょうど大山さんと同じように第三者の立場に立つわけでございまして、ちっともいわゆるどちらへも
○島居参考人 昨年の秋「むつ」が入港いたしました後、事業団といたしましてまず実施すべき業務は、「むつ」とそれから定係港の維持管理でございましたし、第二は、「むつ」の遮蔽改修に必要な技術的検討をやらなければいけなかった。三番目には、最近における技術の進歩が非常に早いものでございますので、それを勘案しながら「むつ」の今後の安全性の見直しを行わなければいけない。四番目には、新定係港の建設の準備をやらなければいけないということであったと
○島居参考人 まことにおっしゃるとおりでございまして、こういうようなナショナルプロジェクトをやるものは、もうちょっと予算も取ってしっかりしたものでやらなければならないと書いてございますが、私も途中から引き受けまして、そのとおりだと思うのであります。 それで、これはいまどうすることもできませんので、とりあえずは、いま申し上げましたように御協力を得てやっておるわけでございますが、今後の予算にそういうのを
○島居参考人 私は途中から引き受けさせられたのでございますが、先ほど来先生からお話がございました「むつ」放射線漏れ問題調査報告書というものは、私のような途中から引き受けた者にとりましては全くりっぱな教科書みたいなものでございまして、教科書には書いてあるところもありますし、ぼかしてあるところもあるかと思うので、私は謙虚に、慎重にこれを読んでおります。 そこで、引き受けましてから、ここにおられます佐々木大臣
○島居参考人 そのときの実験の結果は、そのとおり反映しているというふうに聞いております。
○島居参考人 私、先月理事長を拝命いたしまして、いままでの経緯については、実はいろいろのものを読んだり聞いたりしただけでございますが、きょう初めて原子力船の問題に関してこういう席に出席をさせられまして、新聞その他読み物で読みますよりも、現実に皆様からいろいろ御教訓のある言葉をいただきまして、私としてもまだ初めてでございますが、今後この立て直しをやっていく上においては、きょうは非常に参考になりまして、
○島居政府委員 今お話のありましたことにつきましては一々ごもっともでございまして、また先ほど九州の方へ御視察においでになりましたその報告の、われわれの方に関係いたします点においても、また全くごもっともでございまして、むしろ私の方から大いに努力したい、こちらの方からお願いしたいと思うことばかりなのでございます。そこで第一の点につきまして、目下日韓会談の進行中でもございますし、またこの十一月からはいよいよ
○島居説明員 海上保安庁では、国際地球観測年計画によります海洋部門の観測として、赤道海域における海洋調査を行うために、七月三日に測量船「拓洋」を、同八日に巡視船「さつま」を南太平洋赤道海域に出動させたのであります。 「拓洋」は、出航以来毎日放射能の調査を実施していたのでありますが、七月十三日までには放射能の最高値は千百七十五カウント程度であったのであります。しかるに、七月十四日十一時三十分、北緯十四度十六分
○説明員(島居辰次郎君) 救難関係は私の方の正常の業務でございますので、そういう方面の燃料費その他から使っておると思いますが、今それだけに使った燃料を実はちょっと申し上げかねるのです。 実は、この会議が終りましたら、前線の乗組員も何日間か昼夜兼行でやっておりますので、非常に疲れておると思いますので、私、今晩これが終るとすぐ前線へ出かけまして、慰問とそうしてこれからの激励に出かけようと思っておるわけでございまして
○説明員(島居辰次郎君) 私、第三管区の本部長が下田に行きましたので、直接ではございませんが、オペレーションを通じてその事実を聞きましたところ、その原因は目下まだわれわれのところでも探究中でございまして、原因は今そう早急には結論は出せないようでございますが、死体の捜索に当って非常に困難であるということを説明するための、一つの説明のようなことでそういうことを座談的にしゃべったということは聞いておりますが
○説明員(島居辰次郎君) 遭難機の捜索の模様は、時々刻々報道機関から一般に報ぜられているので御存じとは思いますが、ここにまとめて御報告いたしたいと思います。 海上保安庁では羽田の航空保安事務所から、全日空機の五〇四五機が消息を断ったという情報を入手いたしますと、直ちに横浜の第三管区海上保安本部長に対しまして、所属全船艇及び航空機をもってこれが捜索救助に当るように指示をいたしますとともに、東京在泊中
○島居説明員 飛行機の救難態勢というものは今考えつつあるところでありまして、今までやつておるのは主として船舶の救難態勢でやつておるのでありまして、館山の航空基地というものは、あの飛行機で救難それ自身を行うというのではなく、場所を探すとかいろんなことに使うわけであります。幸いに当日私の方の「むろと」は大島の岡田におりましたので、航空保安事務所からその救難の報を聞きますと同時に岡田の船は一番初めに出ておりまして
○島居説明員 私どものビーチクラフトは館山にございますが、館山は御存じのように夜間飛行はできませんので、翌日の未明を期して出ております。
○島居説明員 先ほどお話の件は、書類のある程度のものは領置したという報告を受けております。人を呼んで取り調べたということは、まだここに出てくるまで連絡がとれませんで、伺つておりません。 それから警視庁の問題は、きよう実は第三管区に警視庁その他の関係官を呼んで、どの範囲をどういうふうに分担するかという打ち合せをするということを報告を受けた、その程度であります。
○説明員(島居辰次郎君) 密入国も、先ほど申しますように、国境が近くなりました関係上、非常に多くなりまして、ことに去年あたりは七百三十九人くらいの密入国者を海上保安庁で検挙しておるような次第であります。ことにその大部分というのは韓国でございまして、この船は大体前は非常に小さい、三トンから五トン程度の船で来ておりました。そうして北九州あるいは裏日本の非常に西部の方に上っておったというような状況でありますが
○説明員(島居辰次郎君) 厳原につきましては、昭和二十三年に厳原の保安部を設けたいと思ったのでありますが、何しろ巡視船があそこへ基地を設けることになりますと、相当な乗組員もあることでございますので、まず先立つのは住宅でございます。それから水の問題その他生活環境の問題があるわけでございまして、その当時非常にそういう生活環境でむずかしい事態がありますので、私の方としましては、さしあたり通信関係は設けましたが
○説明員(島居辰次郎君) まず最初に、先般李ライン方面においで下さいまして、そうして今また非常に御同情ある現地職員のためにお言葉をいただきましたことにつきまして、私から厚く御礼を申し上げる次第であります。お話のことをさっそく私帰りましたら、七管区の第一線の諸君に伝えたいと思いますが、とりわけこの人たちは喜ぶかと思っております。 御存じのように、海上保安庁は大体人の目につかないところで、ほんとうに苦労
○島居説明員 別に言葉じりをつかまえるわけではありませんが、手をこまねいておるわけではありませんで、私どもも、今回の場合、できるだけの交渉の措置はとっておる次第であります。また先般におきましては、拿捕船と警備艇との間に割って入りまして、海上保安庁の巡視船が向うの銃撃を受けながらも交渉して、なるべくこちらの方は発砲しないようにというように、今の態勢としてはできるだけの措置はとっておる次第でありまして、
○島居説明員 二十七、八年の時代におきましては、拿捕の現場に急行いたしまして、現場において私の方の巡視船と向うの韓国の警備艇と話し合って、解放した実例というものがずいぶんだくさんあるのでありますが、その後向うの方針もだんだん変ってきたような次第であります。そこで今申しますように、現場におけるそういう発砲行為というようなことはなるべくしないようにというのが、閣議決定に基く方針でございますので、私の方の
○島居説明員 今おっしゃるのは、日本全般の話ではなくて、李ラインだけの話かと存じますが、李ラインにおいては、私の方としては、今の海上保安庁の法に与えられた態勢においては、できるだけのことをやっておるのでありまして、むしろその拿捕の前の段階、予防措置にずいぶんといろんな方束を講じまして、拿捕の予防、拿捕の防止ということについてやっておるのであります。しかしながら、今御指摘のありました人命、財産のいわゆる